阪神大震災から28年、あの日あの時
阪神大震災(M7.3、死者6434人)発生(1995年1月17日午前5時46分)から今日で28年を迎えた。
当時、私は医療法人葦の会オリブ山病院で理学療法士として勤める傍ら、沖縄大学の経営学部経営コースで学んでいた。
大学の単位の中に「映像論」というものがあり、映画を見て感想文を書くと単位がもらえるというユニークな授業があった。
その日は夜遅くから「七人の侍」を見て、徹夜して感想文を書いていた。
早朝のテレビで「阪神大震災」を知った。地震は神戸市等で震度7を観測した。テレビをみて驚愕した。映し出されていたのは火事の映像だった。地震のあと、あちらこちらで火の手が上がり、家屋が燃えていた。
私にとって他人事ではなかった。なぜなら、神戸には親交のあった理学療法士の仲間や、私の敬愛する医師がいたからである。その後、1週間余り連絡はとれなかった。
奇しくも私はその日、映画「七人の侍」を見て、会社を興す決心をしていた。
(そのことについては、またの機会に記すことにする)
1995年は理学療法士としてオリブ山病院に勤めて10年目、病院のリハビリから地域リハビリへと、本格的に軸足を移した年でもある。
那覇市における障がい者ケアの草分けである「やまびこ大学校」(障がい者の日中活動支援)を那覇社協の委託を受けて開設したのも、その年の1月である。
あれから28年、改めて6434人の犠牲者と被災地に思いを馳せ、祈りを合わせたい。
(追記)
沖縄県は18日、県内で新たに706人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表しました。
先週水曜日の1845人より1141人(61.8%)減少しています。
今週に入ってやや下火になっているようです。我が社においても15日~18日まで4日間、新規の陽性者は出ていません。
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