先ず動くことだ、野口晴哉「風」

あつしぇーい

2022年02月01日 06:03

今日、2月1日はぶどうの木を2002年に開設して20年の節目の日である。また、私がオリブ山病院を退職して会社の代表取締役に就任(専任)した日でもある。
  
ぶどうの木経塚屋上から午前7時東の空を映す。映像をズームアップすると見えてくるものがある。オリブ山病院の十字架である。
「キリストの こころに触れし オリブ山 新たな旅路の 始発なりけり」
(オリブ山病院を退職したときに私が詠んだ歌)

2020/12/13

<野口先生との出会い>
今から46年前の1975年、世田谷の本部道場で、野口先生から私は直に整体指導(操法)を受けた。その時、先生と交わした言葉は今でも忘れない。

「東京に来ると喘息になるのですが、どうしたらいいのでしょうか?」と私が質問すると、
先生曰く「東京の体になればいいのです」
わずか3分ほどの整体操法を受けながら交わした言葉は、たったそれだけである。それ以来、いつの間にか幼いころからの喘息の発作が無くなり、薬も必要なくなった。

当時の東京は、スモッグで環境が汚染され空気が汚れていた。
「東京の身体になればいい」という言葉の意味は、その時は知る由もなかった。
「身体が環境に適応するということ」だということを知るのは、後のことである。

野口師に出会って1年半後、師は天に召された。師亡き後、私は整体協会を離れ、長崎リハビリテーション学院に入学(1982年)。リハビリへの道を歩むことになる。
2020/12/08

あれから40年、
野口晴哉の「風」は、今も私の行動指針である。


「風」の全文を紹介したい

先づ動くことだ
形無くも 動けば形あるものを動かし 
動かされている形あるものを
見て 動いているものを 感ずるに至る
動きを感ずれば共感していよいよ動き 
天地にある穴 皆声を発す
竹も戸板も水も 音をたてて動くことを後援する 
土も舞い 木も飛ぶ 家もゆらぐ 
電線まで音を出して共感する
ーー天地一つの風に包まる

先づ動くことだ
隣のものを動かすことだ
隣が動かなければ先隣りを動かすことだ
それが動かなければ 
次々と 動くものを多くしてゆく
裡に動いてゆくものの消滅しない限り 
動きは無限に大きくなってゆく 
これが風だ

誰の裡にも風を起こす力はある
動かないものを見て 
動かせないと思ってはいけない 
裡に動くものあれば 必ず外に現われ 
現れたものは 必ず動きを発する
自分自身 動き出すことが 
その第一歩だ
~野口晴哉著『碧巌ところどころ』より~

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