映画「七人の侍」をみて①

あつしぇーい

2023年01月20日 19:46

「七人の侍」といえば、言わずと知れた黒澤明監督の代表作である。
撮影開始は69年前の1953年(昭和28年)年5月、クランクインが1954年5月である。

作家の井上ひさし氏は、映画「七人の侍」について、こう述べている。
『すべて偉大な作品は「どのように状況が悪くても生きることに絶望するな」と、私たちに励ましを贈ってくれるが、この作品を観直すたびに、救い主は「七人の侍」という映画に姿を変えて、すでに降臨しているのだと、奮い立たないではいられなくなるのだ。この時代に生まれ合わせて、この作品に出合ったことに、私は限りなく感謝する』と。

私は28年前、映画「七人の侍」を見て、病院勤めを辞めて独立する決心をした。
時を同じくして阪神・淡路大震災が起こった。その震災と復興のプロセスを通して、私の決心はより強固なものになっていった。

「離れは3つ(軒)、こっちは20(軒)。人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかりを考える奴は己をも滅ぼすやつだ」
主人公の官兵衛(志村喬)が、戦いから逃げようとする一部の百姓達を制し、村の衆に言い放ったこの言葉「人を守ってこそ自分も守れる」が、「七人の侍」の底に流れるテーマである。

物語は、百姓達が(自分たちの収穫と村の若い女たちを取り上げる山賊のことで)絶望的になっているシーンから始まる。
村の長(じさま)の助言により、山賊と戦うために自分たち(村)を守ってくれる侍を、探し出そうと数人の百姓が旅に出る。報酬は一日三食(白い飯)だけである。

そして、一人の侍に出合う。
前半のハイライトは、捕り物シーン(赤ん坊を人質にして立てこもっている強盗を退治する)である。

その場に偶然出くわした侍が、髷を切って坊主になりすまし、おにぎり2つを持って小屋に立て籠もっている強盗に近づく。そして「1個は赤ん坊に、もう1個はお前に」と言っておにぎりを戸口から投げ込む。強盗がおにぎりを受け取ったであろう、そのすきに家の中に入り、アッという間に強盗を退治して、赤ん坊を救い出した。

この捕り物劇を見ていた百姓達は、その侍の後についていき、自分たちの内情を訴え嘆願する。侍は最初百姓達を相手にしていなかった。
しかし、百姓達の執拗な願いに折れて、侍は「この飯はおろそかには食わんぞ」と言い、百姓たちの申し出を引き受ける。

先の捕り物劇を見物していた群衆の中に、物語の主人公である菊千代(三船敏郎)と、若侍の勝四郎(木村功)がいた。
その後、4人の侍をスカウトし、「七人の侍」は百姓達と共に村へと旅立つ。
(続く)

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