映画「七人の侍」を見て②

あつしぇーい

2023年01月21日 21:11

黒澤明監督は弱いもの、小さいもの、特に女性や子どもの命を大事に扱うことによって、敗戦後の日本に新しい時代を告げた。

映画「七人の侍」の撮影がスタートしたのは日本が主権を回復(1952年)した1年後である。
しかし沖縄は、その後27も年間米軍の支配下に置かれた。復帰50年を経過した今も、それはほとんど変わらない。

2022/12/08

一昨日、数年ぶりに「七人の侍」を見た。
この映画には、前半と後半に、赤ん坊を救い出すシーンが2つある。
これまで何度か見たが、前半の救出劇(前回記載)は、はっきりと脳裏に残っていたが、後半のシーンは記憶になかった。

(後半の救出劇)
「山賊に焼かれた離れの水車小屋の中から、母親が赤ん坊を抱いて出てきて、菊千代に手渡した後、母親は倒れる。
その母親を勘兵衛が肩に背負って、赤ん坊を抱いた菊千代と共に、味方の陣地に連れ帰る」というシーンである。

倒れた母親の背には矢に刺されたあとがあった。
母親が必死に守った幼い命を、菊千代に預ける。菊千代は赤ん坊を抱いて、
「この子は自分だ」と言って泣き崩れる。赤ん坊にかつての自分を見たのであろう。

菊千代は百姓の子として生まれ、侍となって百姓のために命を懸けて戦った。
菊千代は鉄砲で撃たれ倒れるも、立ち上がって前に進み、撃った山賊(最後の一人)を刀で刺して、自らも息絶える。戦いはここで終わる。

エピローグで百姓達が太鼓を叩きながら歌い、女たちが田植えをしている平和な情景が映しだされる。それを3人の侍が無言で見ている。

そして、盛られた土手に刺した4本の刀(墓)を仰ぎ見ながら勘兵衛が七郎次に語りかける。
「今度もまた負け戦さだったなあ~。…勝ったのは百姓達だ」
それは、共に戦った仲間への弔いのことばであった。


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