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2022年ふりかえり、復帰50年に思う②

1972年5月15日、沖縄は日本に復帰した。その時、私は高校三年生だった。
当時、米軍人による事件等が起きると校庭で討論集会が行われた。また、クラスの中でも活発に議論が交わされた。デモや集会にも全校生徒をあげて参加した。そのような時代であった。

1995年9月4日、本島北部で米兵3人による少女暴行事件が発生した。
この事件によって県民の怒りが爆発し、基地の整理・縮小を求めるうねりが高まった。翌10月21日、宜野湾市海浜公園で暴行事件を糾弾し「日米地位協定」の見直しを要求する県民総決起大会が超党派で開催。会場は85,000人の参加者で埋め尽くされた。

日米両政府は危機感を募らせ「7年以内に普天間基地を返還する」と、橋本総理は会見した。しかし、27年経った今も、実現はしていない。
なぜか?それは辺野古新基地への移設が条件になっているからである。

2013年12月、仲井間知事が辺野古の埋め立てを容認した。翌2014年の県知事選で翁長武志氏がオール沖縄を結成「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げ勝利した。
この県知事選で、初めて革新勢力に加え、辺野古移設反対派の保守勢力が参加した共闘が組織され、「辺野古新基地建設反対」と「日米地位協定」の改定を求め日本政府に対峙した。

しかしながら、政府は辺野古が唯一と言うだけで、民意を無視し埋め立て工事を進めている。
工事が始まって5年が経過した。上空写真を見ると大かなり工事が進んでいるようにみえるが、埋め立て面積からすると12%程度だという。軟弱地盤の問題もあり、完成までどのくらいの年月がかかるかさえ、政府は示すこともできない。終わりなき公共工事である。

私たちは復帰によって沖縄の基地はなくなるものと期待していた。しかし復帰して50年、基地はなくなるどころか、与那国、宮古、八重山の先島諸島にも基地建設が広がっている。

8月2日ペロシ下院議長の訪台は、中国を刺激し危機を煽った。中国は台湾を囲む形で6カ所の海域と空域で軍事演習を実施。にわかに緊張が高まり、台湾有事が現実味を帯びてきた。

今年2月に始まったロシアとウクライナの戦争は、世界中がサッカーワールドカップで、お祭り騒ぎをしている今も、まだ続いている。
また、「ブラボー」と日本中が歓喜に酔いしれている間に、コロナが全国で増え始めている。
そして、日本に復帰して50年、沖縄は今、4度(タビ)の世替わりが始まっている。
(続く)


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