5月29日、母下顎呼吸始まる
5月29日(水)
午前1時経塚に行く。母は顎呼吸が始まっている。
サーチも上が84までしか上がらない。下は70まで下がる。
無呼吸が一分以上続き、下顎呼吸が始まる。
手足の指が冷たい。
特に足指が紫になってチアノーゼが始まっている。
午前4時ごろまで手足指を擦り、もみ続ける。
それでもサーチは上がらない。
いよいよだと思い、4時過ぎに富子さんと家内と、
長野にいる娘に電話を入れる。
娘とはテレビ電話でつなぎ、母に娘の声を聴かせる。
「ばあちゃん、ありがとう」と
娘は涙を流しながら、声をかけた。
富子さんが6時前に出勤した。
間に合ってよかった。安堵して疲れがどっときた。
デイのナースが7時半頃、出勤して吸引を行った。
具志堅牧師にメールを入れると、
「いつでもそちらに向かうことは可能です」
との返事を頂いた。
富子さんら訪問介護のスタッフと、
母のお別れ会を午後1時に行うことを告げて
私は家にいったん戻った。
1時間ほど爆睡して、再び経塚に向かった。
甥(父の弟の息子)が9時過ぎに駆けつけて、
しばらく、母に寄り添った。
母は、無呼吸の頻度は変わらないが、
朝方より呼吸はやや穏やかになっている。
10時ごろ母の孫(私の次女)が来て、
母の居室でバイオリンの音を響かせた。
12時過ぎに姉も来て、
午後4時過ぎまで母のそばにいた。
午後7時頃、次女夫婦と孫4人が経塚に来て、
孫たち全員が母の手を握って声をかけた。
午後8時前、甥が再び来て、私と一緒に
母のベッドを挟んで2人で母の手足指を擦った。
その日の夜は、夜勤の職員にすべてゆだねて
午後8時半に2人一緒に経塚を後にした。
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