究極の介護、看取りとは
5月30日(木)
早朝5時、経塚へ。母はまだ生きている(生かされている)
先ずオムツをチェック(尿は出ていない)、体位を整えベッドを60度起こし座位姿勢を取る。
次に口腔内を濡れたガーゼで拭き取り、氷をガーゼで包み口に含ませる。
その後、口腔内をガーゼでもう一度拭き取る。
今朝は、昨日と比べてサーチが安定している。
(95まで上がり、下は84で止まっている)
今日は、朝1番で8時に入浴を行った。入浴中に浣腸したらコロコロの便が出たとのこと。
風呂あがりは、とても穏やかな表情をしている。
姉が9時にホームに来て、母に一日寄り添った。午後には母の弟が見舞いに来た。
午後4時に母を居室から介護居室に移した。
午後10時、経塚へ。呼吸の状態は変わらず。サーチも安定している。
5月31日(金)
午前5時、経塚へ。
姿勢を整え、ガーゼで口の中を拭き取り、いつものように手足を擦り、マッサージを行う。
6時半、訪問介護の職員が出勤してきたので、経塚を出て若枝を巡回し自宅に戻った。
少し休んでいると、の呼吸の状態が気になると、ナースから電話あり、すぐに経塚に向かう。従弟が先に経塚に来ている。母の手足を2人で擦りながら、母の話をする。
12時に姉が来て従弟は仕事の戻る。姉はずーっと母に寄り添って4時半に帰る。
今日は金曜日、デイの帰りの会で、母の状況を詳しく話してから、聖書の話をする。
テーマは「私はぶどうの木」(ヨハネ15章1~12)
さだまさしの「人生の贈り物」を聞いて話を終える。
究極の介護、看取りとは、「そばにいること。並んでそばにいることである」
食事も水分も摂れなくなって19日目、点滴を止めて10日目。
母が、今日生きているのが奇跡(神の恵み)である。
「私たちの求めまた思うところの一切を、はるかに超えてかなえて下さることができる主に」
感謝。母の介護に関わってくれた職員に感謝。
母のそばにいつも一緒に座ってくれて、母のことを気にかけてくれた仲本さんに感謝。
母のことを祈りに覚えて支えて下さった方に感謝。
母が今日、天に召されても思い残すことは何もない。
この一週間で、あとの祭りの準備もすべて整った。
明後日6月2日、長野にいる孫(長女)が来沖する。
母は孫の来るのを待っていのかもしれない。
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