6月6日の出来事、いつまでも残るものは

あつしぇーい

2024年06月08日 01:00

6月6日午前1時半、
母の部屋で横になっていた妹が起きてきて、母のそばに座った。
10分後、開いていた母の口が突然閉じた。
同時に唾を飲み込む音が聞こえた。
その後、唸るような声を出した。それが、最後の息だった。
5分くらい母の様子をみて、美ら島クリニックの夜間窓口に電話した。
その後、富子さんに連絡を入れた。

午前3時前に医師が到着しご臨終を告げた。
妹と夜勤者2人と、駆けつけてきた職員4人でエンゼルケアを行った。

3月28日に母が大量の嘔吐と下血をした時、
いよいよ、その時が来たと思い、
その日、並里司祭を訪ねて、母の病床洗礼をお願いした。
2日後、母はベッドで寝たまま病床洗礼を受けた。

5月12日の夕食から、母は食事を摂れなくなった。
誤嚥性肺炎との診断が下されたが脳梗塞も起こしていたのだろう。
それ以降、食事も摂らずに水も飲まずに25日間、
また、点滴を止めてから16日間
母は生き続けた。

母はその生き(逝き)ざまを通して、特にこの看取りの期間、
介護に携わる私たちに、とりわけ家族に対して、
最も大切なことを教えてくれた。

人は生れて成長し、病み、老い、そして逝く。
そのプロセスの中で誰かと時間を共有する。
愛するとは、その対象のために無償で自分の時間を割くことである。
母は多くの人を愛し、多くの人に愛されてきた。

「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛である。
その中で最も大いなるものは愛である」
(第2コリント人への手紙13章より抜粋)

経塚に引っ越して来たとき「私はいろんな所に来るね~」
と言っていたが、今度は最後の引っ越しになる。

終の住いを神里に造る約束をしていたのだが、
それを待たずに母は逝ってしまった。
しかし、母の生きた証は子や孫、ひ孫たちに、
神里物語として、いつまでも受け継がれていくことだろう。

(追記)
神里物語は、しばらくお休みします。
これまでブログを見て応援してくださった皆様に、感謝申し上げます。
ありがとうございました。




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