人はパンのみによって生きるにあらず
6月2日(日)
午後10時、長女と一緒に経塚へ。
母は過呼吸になっている。一分間に34回、
これは全力疾走をした後の呼吸である。
一時間ほどしたら再び無呼吸が始まり、
逆にほっとした。
今日こそは、お迎えに来るだろうと思い、
ブログを終了するつもりでいたのだが…。
6月3日(月)
今日も母は生かされている。
食事も水分も摂らなくなって22日、
点滴を中止して13日目である。
昨晩、長女が母のそばで休んだ
5時半、母の姿勢を整え口腔ケアを行う。
6時に富子さん来る。昨日の報告を行い、
私は家に帰り、朝食を食べ休んだ。
10時に再び経塚へ。
母は清拭を終えて、いい表情をしている
息も静かになっている。長女は家に帰す。
12時半、母の4女と孫が名古屋から来沖、
経塚に姉夫婦と一緒に来る。私は家に帰る。
16時、経塚へ。娘たち家族は帰る。
19時、4女が再び経塚に来て母を見まもる。
22時、私と長女が経塚に来て、4女は帰す。
長女は母のそばで今日も休む。
寂しがり屋の母はきっと喜んでいると思う。
6月4日(火)
午前0時、今日も母は生かされている。
体位交換と口腔ケアを行い家に帰る。
食事も水分も摂らなくなって23日、
点滴を中止して14日目である。
修行僧ならいざ知らず、99歳のお年寄りが、
23日間も飲まず食わず(飲めず食べられず)で、
生きている(生かされている)。
「人はパンのみよって生きるにあらず、
主の口から出るすべての言葉によって、
生きるのである」(申命記8:3)
私が体力、気力の限界を感じているときに、
甥が夜に朝に時間を割いて来てくれている。
また、6月2日に母の孫と、
3日に4女の娘が来沖したことは、
私にも母にも大きな助けになっている。
今日はゆっくり休むことができた。感謝。
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