5月31日(金)、午後10時、経塚へ。
甥も時間を合わせて来る。
一緒に母のそばに座って、およそ一時間半、
母の手足を擦り揉み続けながら母の話をする。
すると、88までしか上がらなかったサーチが、
帰るときは94まで上がった。
6月1日(土)、早朝5時半、経塚へ。
先ず姿勢を整え、ベッド上座位(45度)と取る。
氷をガーゼで包み、母の唇に乗せる。
一回だけ母は口をすぼめる。
6時半、経塚を出て安謝に寄り自宅に帰る。
朝食を摂り再び経塚へ。
8時半、母は入浴を済ませたところだった。
入浴後、ベッドサイドで姿勢を整え、
ベッド上座位を取り口腔ケアを行い、
家に帰る。しばらく、休んでいると、
12時15分、姉が経塚に着いたとのメールあり。
14時前、甥から電話あり。経塚に向かっていると。
15時、私は、家内と同居中の孫と一緒に経塚へ。
16時、ヘッドを介護居室に移す。
その後、18時まで母のそばにいて家に帰る。
6月2日(日)
母が食事を摂れなくなって今日で3週間。
点滴を中止して12日目。
5時半に経塚に行く。母はまだ今日も生きている。
いつものように姿勢を整え、口腔ケアを行う。
7時前に経塚を出て、安謝に寄り自宅に戻る。
家に帰りシャワーを浴びて8時の礼拝に出席する。
その後、9時前に再び経塚へ。
職員の並里さんと一緒に母の陰洗を行う。
10時姉夫婦が来る。
12時半ベッドを母の部屋に移動する。
13時、長野から孫(長女)が来る。姉の息子も来る。
家内も来る。私は家内といったん家に戻る。
15時半風呂に入って、三度経塚へ。
16時、家族を皆帰し、母を介護居室に移す。
この一週間は毎日、毎日、驚きの連続である。
特に、6月31日午前1時から今日までの3日間は、
私の想像をはるかに超えた出来事の連続であった。
「神の業」だとしか言いようがない。
明日の午前中、
名古屋にいる母の4女が孫と一緒に来沖する。
母は娘たちを待っているのもしれない。