6月5日(水)
食事も水も摂れなくなって、今日で24日
昨晩は長女が経塚で泊まり
私は家でゆっくり寝ることができた。
午前6時半、私は経塚に向かう。
母の4女も経塚に来ている。
午前6時、4女が次女に電話をしたとのこと
次女が母に歌を歌って聞かせたという。
その歌は。「もしもし かめよ かめさんよ」
で始まるウサギとカメ。
母がよく歌っていたというが、私の記憶にはない。
いつも母は、この2女のことを気にかけていたが、
なかなか電話がつながらなかった。
これで母は思い残すことはもうないだろう。
午前9時半、肛門が開き水様便が出始めている
(それは夜まで続く)。
11時過ぎ、母の4女と長女が松川に来て、
母を迎える準備の状況を確認。
私の長女は12時過ぎに経塚に来て
母の顔にパックをしている。
そして、経塚駅から那覇空港へ。
14時発の飛行機で長野に帰る。
長女が来沖するまで生きているか心配だったが、
なんと、母は長女が長野に帰るまで頑張った。
午後4時前、訪問介護の職員が仕事を終えるころ、
母が今にも逝きそうな呼吸をしていたので、
私は母のそばに座り、歌を歌っていた。
松川で待機していた富子さんが午後8時経塚に来る。
並里さんも来ている。私は10時前に経塚到着、
ベッドを介護居室に移し母の部屋で4女は横になり、
富子さんと並里さんは帰る。
私は母のベッドのそばに座り見守る。
(続く)