<24年のふりかえり>
1998年5月、私はケアエンドサービスを設立、4年間は医療法人葦の会に勤めながら、ボランティアで社長を兼務、障害者とその親御さんの小さなニーズのために時間を費やしていた。
2002年2月、ぶどうの木1号館、那覇市松川に落成。同時に葦の会を退職し会社に専念。
2003年4月、支援費制度が始まり、それまでボランティアで行っていた障害者のケアに対して大きな収入が入ってきた。その年から3年間で創業以来の赤字を全て解消。
2005年10月、障がい者と高齢者施設を安謝に開設。
2006年6月、牧港に老人の施設を開設。その後は路線を転換し、6年間は新規のホームは開設せず、6カ所の老人ホームを整理縮小した。
2012年10月、経塚に理想(1フロアー2ユニット)とする老人ホームを落成。デイサービス、居宅介護支援とヘルパーステーション及び事務局を一緒に移転した。
2021年6~7月、会社でクラスターが発生、経営的にも大きな打撃を受けた。私自身も感染し肺炎で入院、心身ともに苦しみを味わった。その中で光も見えた。
そして、2022年度を迎えた。
「人は皆同じように老いるのではない。エネルギッシュに働くことはできなくとも、判断力に狂いがなく、20年前よりも優れた意思決定を行う人がいる。助言者としても、年とともに欲を離れ、かつ知恵と親身さを併せ持つならば、最高の仕事をする」
(断絶の時代より/ドラッカー)
私は現在68歳、20年前と比べれば欲はない。手前味噌ではあるが「最高の仕事をする」条件は整ってきたと思う。
4年間の準備を経て神里プロジェクトがいよいよ動き出す。
「未来は明日作るものではない。今日の仕事との関係のもとに行う意思決定と行動によって、今日つくるものである」
(創造する経営者/ドラッカー)